除草剤を使わず米をつくるのは何故?

きっかけは1960年代の戦争でした

1960年代には、冷戦の影響を背景に、世界各地でさまざまな戦争や武力衝突が発生しました。
1. ベトナム戦争(1955年–1975年)
2. ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)(1967年–1970年)
3. 六日戦争(第三次中東戦争)(1967年)
4. コンゴ動乱(1960年–1965年)
5. インド・パキスタン戦争(1965年)
6. 中国とインドの国境紛争(中印戦争)(1962年)
 この他にも、冷戦下の影響を受けたさまざまなクーデターや武力衝突、反政府運動(ラテンアメリカやアフリカ各地)なども多数ありました。特に1960年代は、イデオロギー・植民地独立・民族問題が交錯した非常に不安定な時代でした。

中でもベトナム戦争の枯葉剤に関心がありましたベトナム戦争における枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)の使用は、深刻で広範な被害を引き起こしました。以下にその主な影響と被害者の現状について説明します。

枯れ葉剤とは;アメリカ軍がベトナム戦争中(1961年〜1971年)にジャングルの植生を枯らしてゲリラ戦を不利にする目的で散布した化学薬品。特に有名なのが「エージェント・オレンジ」で、猛毒のダイオキシン(TCDD)が含まれていました。

主な被害 
 健康被害ベトナム人住民および兵士に深刻な健康問題を引き起こしました。がん(肝臓がん、喉頭がんなど)、皮膚疾患、肝臓障害、免疫不全、不妊・流産、先天性障害(心臓・脳の奇形、四肢欠損など)を持つ子どもたちが多数生まれ、3世代にわたり影響が続いているとされています。
 環境破壊;森林や農地が枯れ果て、生態系が破壊されました。土壌汚染が今なお続き、汚染地域では作物が育ちにくくなっています。

被害者の現状
 ベトナム国内;推定で400万人以上が影響を受けたとされます。現在でも20万人以上が重度の障害や慢性疾患に苦しんでいるとされています。政府と国際NGOが支援を続けているが、十分な医療や福祉支援が行き届いていない地域も多いです。
 米兵・その家族;帰還兵やその子孫にも健康被害が認められており、アメリカ退役軍人局(VA)が補償を行っています。ただし、認定基準が厳しく、多くの被害者が認定されていないという批判もあります。

国際的な動き
アメリカ政府は2000年代以降、一部の環境回復や医療支援に資金援助を開始。しかし、公式な謝罪や完全な補償はされていないという声もあります。

1969年6月、新宿駅西口地下広場のフォーク集会で、ベトナム戦争の枯葉剤散布の危険性を訴えた!

1969年の新宿駅西口地下広場のフォーク集会は、通行の妨げになるとして強制排除され、道路交通法違反で裁判闘争が行われた。ここで枯葉剤の危険性を訴えた僕は、農作業で、同じような目的で使用される除草剤、そして様々な化学合成農薬の使用も控えるようになった。

 わが国の水稲栽培では、ヘリコプター防除などで広くネオニコチノイド系農薬が散布され続けている。 ニコチンに殺虫作用があることは知られており、農薬として硫酸ニコチンが使われていた。しかし昆虫だけでなくヒトにも強い毒性があるため、ニコチンの化学構造式を少し変えることで、新たなニコチン類似物質であるネオニコチノイドが開発された。有機リン系殺虫剤、合成ピレスロイド系殺虫剤、カーバメート系殺虫剤に対する感受性が低下した害虫に対しても、ネオニコチノイドは殺虫効果を発揮する。
 ネオニコチノイドの場合は、虫をただ殺すために使用されるだけでなく、虫によって建材や作物や植木が被害を受けないように使用される。ネオニコチノイドが無味無臭である点も、好都合である。ネオニコチノイドは、水溶性が高く植物体への浸透移行性もあるため、残効が長いという特長を有する。このため、殺虫剤の散布回数を減らせるため、世界において主流の殺虫剤として用いられ、1990年代から使用が急増した。その後、世界各地でミツバチの大量失踪事例、いわゆる蜂群崩壊症候群が多発したため、ネオニコチノイド系殺虫剤が一因ではないかと仮説が立てられた[1]。このためヨーロッパでは予防原則に則り、規制が強化されている。欧州連合(EU)では2018年に、登録ネオニコチノイド主要5種の内3種を使用禁止し、フランスは主要5種全てを禁止した。
 なお、脊椎動物(哺乳類)がネオニコチノイドを摂取した際の影響評価は議論が続いているが、まだ結論は出されていない。